これまで千人以上を看取った田中雅博医師が、自らも末期のすい臓癌に侵され、その最後の450日を看取った
壮絶なドキュメンタリーを見させていただきました。
国立がん研究センターで勤め、しかし多くの患者さんを診る中で、医療の限界を感じて、もともと実家のお寺を
継いで僧侶になり、入院のできる診療所と介護施設を建てて、同じ医師である奥様と共に、多くの患者さんの体
と心のケアを続けていった田中さん。
その診療所は、病気を治療するだけでなく終末期を迎えた患者さんを少しでも穏やかに迎えてもらうために
ホスピスの役割を果たしていました。
そこで、田中さんが行っていたこと。それは、ただひたすら苦しむ患者さんの話を傾聴することでした。
聴くという行為が大きな力を持つということを、まさに田中さん自身が末期のすい臓癌に侵される苦しい中で
取材の中で自分の話を聞いてくれるのがとてもうれしいということからも、改めて実感させられました。
田中さん自身の自らの姿をさらすことで、人の死の意味、最後を迎えた患者さんが何を必要としているのかを
見ている視聴者に、目に見える形で、残していただきました。その勇気には、涙が出ます。
そして、多くの人たちを看取り、またご自身が僧侶であっても、多くの人たちの最後のように、自身への死へ
の不安を訴え、「せん妄」状態に陥っていくのを目の当たりにして、理想の看取りとはないのだなあと思いま
した。人それぞれ、看取りは全部違うのだと。
奥様自身も、最後は夫婦の会話があると思っていたのですが、急に田中さんの状態が悪くなり、話すことができな
くなって、そして、最後の会話を交わすこともなく、最後は、奥様の手を握って、感謝と愛情を体で示し、天に
還っていかれました。
奥様にとっては、田中さんは同士であり、愛する夫であり、共に終末医療に捧げてきた戦友のようなものであった
でしょう。田中さんの葬儀が終わり、それまで気丈に振る舞っていた奥様が、田中さんのご遺体の出棺の時、
「私はとても行けない」と泣き崩れた姿は、とても痛々しくて、見ていて涙がとまりませんでした。
そして、最後は、田中さんの生前の願い、自分の遺体が灰と骨になる瞬間まで撮ってくださいという願い通りに
その様子を映し出して、このドキュメンタリーは終わりました。
見終わって、ふと、私自身の最後の瞬間を考えてしまいました。
私もこの間亡くなった日野原先生のように、そして、今回の田中医師のように、現役で最後まで人々の体と心の
ケアをしていきたいと思っております。そして、自分が死ぬとき、「死にたくない」とか、「助けてください」とか
言うかもしれませんが、最後は笑って、「ありがとう。いい人生でした」と言えたらいいなあと、思っています。
そのためにも、残りの人生、精一杯、自分の使命を心を尽くして全うしていきたいですね。
生きざまが、まさにその人の死にざまなのですから。