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2017年09月16日

ダチョウの平和

朝、ミサイル警報で起こされるというのも、とても現実感がないのですが、これが現実と思い知らされた時、
命の危険を感じると共に、何もできないことへのいらだちと、平和とは何か、幸せとは何かと、ふと考えてしまいます
たとえば、平和な日常生活が、ある日突然、壊され時があります。
それは、病気であったりとか、天災や災害などで命を失うこともあるでしょう。不慮の事故もあるかもしれません。
そのために、人々はまさかの危機に備えるのですが、他国が攻めてきたり、あるいは核兵器やミサイルなどでによって
日本に住む人々の生命財産が危うい状態になっているというありえない現実があるということを認識している人々が
果たしてどのくらいいるのだろうか。
それは、過去の歴史にあるのではなく、今、現在、只今の危機がきていると。
ただ、マスコミも政治家も、その現実を見ようとせず、危機はない、平和だ、平和だと唱えるばかり。
病気や事故も、また災害による危険には備えるのに、こと国レベルの危機になると、突然、思考停止に
陥ります。
ダチョウは、身の危険が迫ると、砂の中に頭を突っ込んで今、自分に起きている危険を避けようとするそうです。
避けようというよりも、見ないようにしているのですが、日本人も、同じ状態に陥っているように見えます。
現実に起きていることを見ない、考えない、議論もしない。これをダチョウの平和と言います。
でも、それではいけないと思いますね。このままでは日本が滅びてしまいます。
それこそ、仕事どころではありません。日常そのものが破壊されるのですから。
見ないことで危険が無くなるわけではないということ。
砂に頭を突っ込んで、危険を見ないのではなく、しっかりと見て、対策を取る。最悪のことを考えて、それについて
対策を練る。これが危機管理の基本だと思います。
介護の世界においても、10年後は、40万人以上の人が看取られることもなく孤独死をするだろうといわれています。
今からその現実をしっかり見て、対策を打つことで、10年後に備えなければいけません。
ダチョウの平和に陥ることなく、現実をしっかり直視し、自分にできることは何なのか、自分に問いながら、できることを
やっていきたいですね。傍観者にだけは、ならないように。自分の人生は、最後まで自分で主導権を握って、悔いのない
人生を送りたいものです。