今、佐藤愛子さんが書いたエッセイ「九十歳。何がめでたい」が20万部を超える
ベストセラーになっています。私も学生時代から、佐藤愛子さんの大ファンで、
92歳になってもその切れ味、少しも衰えず、世の中の世相をぶった切っている姿は、まさに痛快です。
もちろん、痛烈な批判の中に、ユーモアと愛がちりばめられて、「はっ」と気づかせられ、ほろっとし
ます。
最近、町が静かになり、犬が吠えることさえ騒音として許されなくなってきた社会に対しても、
「町の音はいろいろあった方がいい。うるさいくらいの方がいい。それは我々の生活に活気がある
証拠だから。それに文句を言う人が増えてきているというのは、この国が衰退に向かう前兆のよ
うな気がする」と鋭い指摘をしています。
そういえば、近くに保育園とか、老人ホームができると、地域住民が反対運動をすることが多いと
聞きます。子供の遊ぶ声が騒音になる環境って、これって問題ですよね。少子化が問題だといいながら
子供の遊ぶ声が騒音になってはいけないですよね。
昭和の頃は、「巨人の星」じゃあないですけど、父親が理不尽に怒鳴り、ちゃぶ台をひっくり返す
ようなことが確かにあった時代でした。隣のご近所の声も今みたいに防音がされておらず、
筒抜けで、もう夫婦喧嘩のバ声がよく聞こえること。我が家も、すごかったです。
でも、我が家の壮絶なバトルも、パトカーが来るようなことは一度もありませんでした。
ご近所さんも、文句ひとつ言われませんでしたね。「ああ、またやっている」みたいな感じ
だったんでしょうね。
ある意味、おおらかだったんですね。
東海道新幹線の「のぞみ」の時速が15キロ速くなり、東京新大阪間が3分早くなったことも、「何がめで
たい。なんでそう急ぐ。もっと、便利に。もっと快適に。もっともっとと欲望は膨張していく」と釘をさし
ます。きれいごととして扱おうとする現代の日本人や日本の社会の歪みを指摘しつつ、年寄りが敬意を払われ
なくなったのは、急速な「文明の進歩」のためであり、高齢者が生きづらいのは、身体機能の衰えのみならず
世の中の進歩についていけないことも大きな原因とも述べています。
そして、スマホにも噛み付きます。電話にカメラに計算機に時計にナビに、何でもできるスマホに対して
「そんなものが行き渡ると、人間はみなバカになるわ。調べたり、考えたり、記憶したり、努力しなくても
すぐに答えが出てくるんだもの。日本人、総アホの時代がくるね」
「九十歳、何がめでたい」で言いたいことは、人生は結局自分で考え、自分で選ぶ。後悔しない死に方を
選ぶ。ということなんでしょうね。と言ったら、「あんた、いちいちうるさいわね」と、佐藤愛子さんのお叱りが飛んで
きそうですね。
こういう世の中に突っ張っていく生き方も、美しく感じますね。丸いだけじゃあつまらない。
頑張れ!!愛子さん。