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2016年11月29日

安楽死は許されるか

「渡る世間は鬼ばかり」で有名な脚本家、橋田壽賀子さんが、「私は安楽死で行きたい」と発言し、大きな波紋を広げております。

日本は、安楽死に否定的ですが、世界では合法の国があり、ヨーロッパではスイス、続いてオランダ、ベルギー、ルクセンブルクで合法となっています。アメリカでもカリフォルニア州、オレゴン州などの一部が合法のようです。

そこには、生きる権利があるなら、死ぬ権利もあるということなのでしょう。しかし、思うのですが、生きるというのは、権利ではなく、そこには、大宇宙の中で生かされているというありがたさが、根本にはあると思うのです。そして、そこには、宇宙の意志とか、神とかの存在を抜きにしては、この安楽死の問題は語れないと思います。

自分で生きているのではなく、大宇宙に生かされている自分。であるならば、勝手に自分の命を絶つ権利などないと思うのです。

権利ばかり主張する昨今ですが、義務もあると思いますね。最後まで生ききるという義務が。

遺伝子の操作とか、生命に関する問題は、神の領域に入ってきます。

科学だけが発達し、精神性がついていかないならば、またフランケンシュタインのような怪物を人類は生み出してしまうかもしれません。

安楽死の問題も、生と死、そしてあの世の世界をどうとらえるか。

その中で、人々は永遠の命の中で生と死を乗り越えて、成長を続ける、それが宇宙の意志である、神様の意図のような気がします。

すべてに意味があります。そして、それは成長を続けるものにとっては恩寵です。死ぬ最後の瞬間まで、人は成長を続けるのだと。そして、その生を看取りながら、我々も成長を続けていきます。

安楽死は、その成長の芽を自らつむことに他かならないと思いますね。

難しいテーマではありますが、ちょっと書きたくなりました。

みなさんは、どう考えますか。