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2024年03月28日

13年目の3・11

今年も3・11がやってきました。

東日本大震災から13年がたちました。その前には、去年まで4年間に及ぶコロナ禍があり、その渦中の中で、人々は当事者としてコロナと戦い、多くの犠牲を伴いながら、人類は乗り越えることができました。コロナでは、実に1500万人の方がお亡くなりになられました。第一次世界大戦の死傷者は1600万人と言われていますので、実に世界大戦の戦争をしたと同じくらいの人が亡くなったことになります。

本当にコロナとの戦いは、戦争でした。そこから学んだことは、それは他人事ではないということです。危機が現実に目の前に次ぎから次へと降りかかってきました。

コロナを体験して、改めて、東日本大震災を思う時、コロナを体験するまでは、どこか他人事だったように思います。

今年も、いろいろな東日本大震災に関わる番組をやっていました。未だに、家族を亡くされて、その時のまま時間がとまってしまっている方がまだ、大勢いらっしゃるということ。そして、肉親の遺体を捜している家族の話もありました。その人たちにとって、東日本大震災は、終わってはいないんですね。震災の真っ最中なのだということ感じました。

大阪に住んでいる者の一人として、いずれ、南海トラフ地震は、避けては通れないということ。東日本大震災から、実に多くの教訓を学ぶ必要があると思いました。

その中でも、石巻のある海沿いの小学校の話がとても感動し、参考になると思いました。それは、その小学校の生徒さん全員が助かったのですが、その原因は、その学校の校長先生が、津波がきた時のマニュアルを、事前に検討されて、マニュアルを見直し、地震が起きた時、津波が来る時間と地震の規模で、Aパターン、Bパターン、Cパターンとしっかり決めたことでした。

東日本大震災の時は、地震の規模の大きさと、津波が到達する時間が10分しかないと察知し、外に逃げる時間がないことを察知して、小学校の屋上に避難するというCパターンの案をとりました。ここで不思議なのことは、地震の起きる前日、つまり10日にこの地震の避難訓練をしているんですね。校長先生の直感だったのですが、まさに事前準備をしっかりさせ、そして人間本来備わっていた危機管理能力を発揮させて、生徒全員の命を救ったということになりました。

大川小学校では、逆のことが起きました。事前準備がなされてなく、地震が起きてから30分間、方針が決まらず、結局そのままマニュアル道理に避難地に移動して、その最中に津波に襲われてしまいました。小学校のすぐ前が山でしたので、そこにあがって逃げれば、全員、命が助かったです。私も震災後、この大川小学校に訪れましたが、こんな校舎の目には山があり、山に逃げれば助かったのにと愕然となりました。

今、のあもBCP対策ということで、力を入れております。何回も避難計画を見直して、地震の規模と津波の到達する時間で、Aパターン、Bパターン、Cパターンを決め、避難訓練も今年の9月にやる予定です。

備えあれば憂いなし。これは、BCPの鉄則ですね。

これからも、訪問看護ステーションのあは、災害に強いステーションを目指していきます。